2005年11月16日

たまには。

たまには日記をかこうかねえ。

なんていってるあたりですでに日記といえません。ええ。
そんなこと如何でもいいんですけどね。
所詮垂れ流し。


閑話休題

先日高野山行って来ました。紅葉がきれいでした。
やっぱり御山はいいですねえ。
忙しくてめったにいけないのが惜しいですが。
片道二時間程度電車に乗らねばならないので。


食事がまずかったのだけつらかった。



話は変わって。

先日オズの魔法使いのDVDを購入しました。
500円だったから。
大好きなんですけどね。でも娯楽なので500円。

見てて思うこと。
今のCGとかワイヤーアクションとか・・・そういうのもいいんだけど、
演じるということをどこまでできてるのかしら?と感じました。

昔の映画・・・たとえば狼男でもCGやSFXをほとんど使わず変身のシーンを演じてた俳優さんがいらっしゃったんです。
その表情、姿勢、苦しみ方で。

このオズの魔法使いも家が竜巻で飛ぶシーンなど、今の技術からすればかなりちゃちいのですが、現実の世界をセピア色のモノトーンで映しておいてオズの国に入ったとたんにカラーになるなどの演出が別世界に飛んできたというのをわからせてくれます。
魔女が溶けるシーンも演技と舞台装置でやっちゃってますが、すごくリアル・・・というか、迫力あります。

などと考えたのはたった今。
見てたときはハラハラしたりホロホロないたりしてました。
悪の魔女カッコイーとかライオンかわいーとか思って。
あと、カカシの動作すごいね。体重が無いみたいだーとか・・・・

昔見たときはもっと純粋に楽しんでたようにも思うけどねw


それはそれとして。

先日料理の本を新しく買いました。
苦手な料理を克服しようと。

今日の夕食は大根と鶏肉の煮物。味付け薄いかもしれないけどただいま煮込み中。
ことことことこと。
鶏肉の脂のにおいが食欲をそそります。
大根もちゃんと面取りしたし。誰に食べさせるわけでもないのに。







と、これくらい書けば日記っぽいかな?(コダワッテルジャナイカ
posted by 加藤 at 20:58| Comment(29) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月11日

小刀。

小出しに話題を振って
小刻みに傷を作って
自分がどうしてほしいのか言わず
相手に自分のしてほしい結論を作り出すように仕向ける。

ある意味究極のサディズム。というより残忍。
それを自覚しない辺りが特に。

自由意志を持っていられるのと
選択肢を持っているのとは違うこと。

自由意志とは選択肢を作り出す自由。
他人から与えられた選択肢はその時点で結論を作られている。


相手の行動に指針を持ってしまった時点で
相手を束縛しているのである。
束縛していることを自覚した上で与える自由意志と選択肢。
束縛していることすら自覚せずに与える自由意志と選択肢。

大事なのはその気持ち。その心。
形ないものに価値を見出せないなら、それすら何の価値もないだろう。




愛しているという気持ちもまた
形がないものなのだから。

形がないものに価値がないから
小刀を振るって生きていけるのだろう・・・・
posted by 加藤 at 00:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月10日

減量。

特にダイエットしたわけじゃないんですが
この一月足らずで五キロほど体重が落ちてしまいました。

びっくりです。

元々肉が付きやすく、また落ちやすい体質といわれてたんですが(親族などから)
あっさり五キロ減りました。
それでも充分デブなんですけどね。

最近精神面でちょっときつかったのもありますが
金銭面でも激しく厳しかったので
食生活がとてもとても貧しかったのです。

あんまり食べる気にならないのね。独りでいると寂しくなって(苦笑

それにしてもいきなり五キロ。。。
ベルトも短くしなくちゃいけません。













でも、短くした後にまたどーんと太ったらやばいからしばらく緩々のベルトで行くけどもw
posted by 加藤 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月29日

ちょこれいと。

映画みました。

チャーリーとチョコレート工場。

レビューはそのうち誰かが書くだろうから無し。
ネタバレも無し。


感想。
たまらなくくだらなく
不条理でこっけいで

すごく好き。


個人的にはチョコレートを特別好きってわけじゃないし、
映画を見てチョコレート食べたくなったりはしないですが

そういうのを全部飛び越して
好きな映画です。



DVDでたら買う。
あと一回ぐらい映画見に行ってもいいと思う。

ぶらぼー。ウンパ。


そういえば昔
「ショコラ」という映画も有りました。
あれもチョコレートを主題にした映画でしたが、
あの映画ではチョコレートを食べたいと感じましたねえ。

あの映画の主人公(母親キャラ)がマトリクスのトリニティ役の女優さんなんですよねw
posted by 加藤 at 11:05| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月19日

癒し癒され。

私は実はヒーラーです。

レイキ・ヒーラーのサードディグリーを修了いたしました(専門用語イタイ)
ただいま無料期間中。体験者募集。
もちろん遠方の方への遠隔ヒーリングもあります。



それはさておき。
レイキというヒーリングについて少々思うことを。

レイキとは大正時代に臼井と言う人が得た手当て療法です。
痛いところに手を置いたら痛みが治まる、というのを昇華した療法という感じです。
戦後日本では伝統が全滅してしまったと言われているのですが、伝承者の一人がハワイに渡っており、これが世界に広がって日本に逆輸入されたものなのです。

ハワイに渡ったレイキは民間療法としてベトナム帰還兵への精神的疾病に対して使用され、その効果を世界に知らしめた、といわれています。

日本人にはカルトなどの影響もあって胡散臭く扱われる手当てのヒーリングなのですが、世界では割と根付いていってるようです。
イギリスでレイキは医療保険に適用されますし、神経系民間医療として専門家が存在したりします。
アメリカでも癌の民間療法として割とオーソドックスになっているそうです。

さて、そんなレイキですが
ヒーラーになるためには伝授を受けなくてはなりません。
逆に言えば伝授さえ受けたらその日からヒーリングが可能なのです。

修行いらずの一生もの。
基本的に副作用無し。
これがレイキのうたい文句です。



ですが。

確かに、行を収めなくても使えますが・・・伝授を受けた後にろくに使いもしなければ、レイキを感じる用になったり、強い癒しを得たりすることは難しいようです。
何事も使わなければさび付きますから。

それに伝授されたてのヒーラーが最初からヒーリングを行っている感覚、気感とでもいいますか、それを得ることは稀です。
毎日のように使うことで養われる感性、なんですね。

また、伝授には四種類あります。
ファースト・ディグリー
セカンド・ディグリー
サード・ディグリー
ティーチャー

まず、ファーストを受けることでレイキが使用可能になります。
セカンドを受けることでシンボルというものを伝授され、パワーアップや使用用途の拡大が望めます。
サードでも新たにシンボルを伝授され、さらなるパワーアップも行われます。
ティーチャーはこれらの伝授(アチューメント)を行えるようになるクラスです。

一部でこの伝授をファーストからサードまでのパックなどで一度に伝授するところがあるようです。
個人的にそういったところで伝授を受けるのはお勧めしません。




ここから毒舌かもしれません。

伝授を受けるだけで使用可能になる、インスタントなスタートのレイキですから、インスタントに終わってしまうヒーラーの多いこと。
手に入れたものは磨かなければ輝かないし、使わなければ伸びなくて当然ですが、それを怠って幻滅してやめて行く人が多いこと。
ファーストからサードまで一度に伝授する方法など、その傾向を強くしています。
誰だっていきなり大きな道具は使えません。

ファーストで培って、セカンドで伸びて、サードで花が咲いて。ティーチャーで種を作る。
そんな風に時間をかけたプロセスも大事なのです。
もちろん事情があってサードまで一時に得なくてはならない人もいるのでしょうが。

さらに。
伝授業者の多いこと。
伝授するためにもインスタントに伝授を受ければすんでしまうレイキですから。
ヒーラーとしての経験が皆無であってもティーチャーになってしまう人がいるのです。
愚者です。

ティーチャーなのです。与える者、ではなくて教える者、なのです。
伝授して終わり、ではただの伝授屋なのです。
伝授したあと、いろんな面でサポートが必要なの立場なのです。


もし、皆さんがレイキの伝授を受ける機会があるなら、まずファーストを受けてティチャーを選ぶことをお勧めします。



そんな環境にあふれたレイキ。
一時某巨大掲示板群でもたたかれまくったレイキ。
ここ最近は淘汰されて来てる感の強いレイキですが、否定者や批判者も多いです。

否定してどうするの?
批判してどうなるの?


何事に対しても感じることではありますが
目的のない批判や否定の多いこと。
少し脳みそを使ってください。気分が悪いです。








とりとめもなくなりましたが(徹夜明け)
そんなこんなでレイキヒーラーやってます。
まだお金はいただいてない立場です。




今なら無料期間中。
今なら体験無料。
遠隔もあるよ。
posted by 加藤 at 12:48| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月09日

夏の終わりはいつだって

なんだかしらないうちに訪れている。
気が付くと終わっている。夏。

今年も何もないままに過ぎ去った。
やったことといえば

海水浴
素潜りで貝採り。
素潜りで熱帯魚と戯れ。
極彩色のアメフラシと遭遇。
グレイにオレンジの縁取りのやつと
サファイヤのようなあおいやつ。小さいの2匹。

花火
ドライブ

温泉
夜通し怪談
BBQは肉より野菜のほうが人気だった。

釣り。
小さい鯛とか釣れて楽しかった。
キャッチアンドリリースって便利な言葉だよね。
釣れた魚が邪魔だから捨ててるだけじゃない?
















おや?
満喫してるじゃぁないか。
(個人的にビールが飲めない夏は寂しいけれど)
posted by 加藤 at 11:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月08日

『あなたの嫌いなものはなんですか』

『あなたの嫌いなものはなんですか』
「私の嫌いなものは弱者を糧にして生きている政治家です」

『あなたの嫌いなものはなんですか』
「私の嫌いなものは強者である政治家に頭をたれる無知蒙昧な衆生です」

『あなたの嫌いなものはなんですか』
「私の嫌いなものは弱みに付け込んでいる宗教です」

『あなたの嫌いなものはなんですか』
「私の嫌いなものは自己で決断せずに宗教に依存する衆生です」

『あなたの嫌いなものはなんですか』
「私の嫌いなものは名声という形骸に腰掛けて他者を見下している偉人です」

『あなたの嫌いなものはなんですか』
「私の嫌いなものは現実から目をそむけて安寧なる空想に住む愚者です」





「・・・・・・あなたの嫌いなものはなんですか」
『私は何も知らぬままに嫌える貴方が嫌いです』
posted by 加藤 at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月05日

掲示板。

掲示板での話。
いろいろな意見や
いろいろな視点が飛び交う。

それは時に平行し
時に重なり
時に交差し。

そんな中で
「それはそういうものです」
と断言できる人が居る。

論拠も見せず
考察も与えず
ただ断言のみが現れる。

それが正しいと如何わかるというのだろうか。
信じたくなければ信じなければいいというのだろうか。
信じてしまったものに対しての責任はないのだろうか。
信じれなかったものに対しての意思はないのだろうか。
そしてまたインターネットだからと諦めるのだろうか。

ましてやそれが
不十分な情報による所為か
未発達な見解による所業か
誤った意見であった場合は

如何するつもりなのだろうか
posted by 加藤 at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月02日

幸せの価値。

二人の少女が亡くなった。
一人は村一番の貧しい家の少女。
一人は村一番の裕福な家の少女。

死神が二人を連れて行くときに言った。
「おまえたちが持っていけるのは
 おまえたちの思い出のつまった箱だけだ。
 それを通行料にしてあの世に行くんだ」
少女たちはお互いに胸元に抱えてる箱を見た。


貧しい家の少女の頑丈な黒い石の箱。
裕福な家の少女の飾り立てた宝石箱。

死神は続けていった。
「どれどれ、どんなものが入ってるのか見てみようじゃないか」

死神は貧しい家の少女の黒い石の箱を開けた。

そこにはきらきらと輝く透明な宝石が詰まっていた。
「おうおう、これは悲しみの輝き。
 おうおう、これは喜びの輝き。
 黒い箱で輝きを閉じ込めていたのだな」

死神は裕福な家の少女の宝石箱を空けた。

そこには白い砂がたっぷりと詰まっていた。
「おうおう、これはなんだろうか
 おうおう、ただの白い砂じゃないか
 箱ばかり輝いて中身のしょうもないことよ」

二人の少女はお互いを見て、ため息をついた。
死神は二人にこう言った。
「生きてるうちの貧富の差など
 命の価値に関係はない。
 きれいな思い出、きれいな時間を
 どれだけ積めたかが命の価値さ
 見た目をどんなに飾ったとて
 命はきれいに飾れやしない
 見た目がどんなに質素だとて
 命がくすむわけじゃない
 宝石と砂では価値が違うわな」

うれしそうにうたうように
そういう死神に
貧しい家の少女はこう言った
「どんなに中身がきれいだとて
 箱の美しさは得れません
 どんなに思い出がきれいだとて
 幸せな命であったとはいえません」

裕福な家の少女が続けて言った。
「どんなにしょうもない砂に見えたとて
 一粒一粒が私の思い出
 宝石ほどの価値はなくても
 思い出の数は幸せの重さ」

「死んで貧富の差がなくなるなら
 思い出の輝きもなくなるもの
 命の価値に差が有るとて
 あなたが決めるものではなくてよ」

「ならば誰が決めるというのか
 神たる我が決めずで
 ならば誰が決めるというのか」

「それは私たちが決めること
 自分の幸せは自分で手に入れ
 自分の幸せは自分で見つめます」












死神は二人を送った後に
一人振り返りつぶやいた

「時代の所為かのう」
posted by 加藤 at 14:01| Comment(11) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月01日

勘違い。

ある劇でのこと。
客が文句の末にこういった。
「俺は客だぞ」

その客が帰った後、劇団員がこういった。
「勘違いしてるよな
 俺らは金目的でやってるんじゃない。
 商売じゃないんだよ」

それを聞いてた私がこういった。



「勘違いしてるよな
 どんな目的でも金を対価とするなら商売さ
 顧客でも観客でも客は客だよ」








何か目的があって
その目的のために金を払う。
金を払う価値の有無を客は判断するものである。

その価値を生む責任感をプロ意識と言うのかもしれない。
posted by 加藤 at 15:14| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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